春のゴールデンウィークということで、すでに連休に入っておられる方、この週末からという方、
それぞれのご予定に胸を膨らませておられる事と存じます。
この時期見ごろの 「つつじ」 でもと思い 『浅香山浄水場(あさかやまじょうすいじょう)』で行われている 「ツツジの通り抜け」 に久しぶりにに立ち寄ってみました。

『浅香山浄水場(あさかやまじょうすいじょう)』は、大阪府堺市堺区にあり
1956年から行われている 「ツツジの通り抜け」 では毎年4月下旬~5月上旬にかけて、
沈殿池の堤防強化や緑化を目的に植えられたヒラドツツジ約2300本が、期間中に無料公開されています。
浅香山浄水場のツツジは、「大阪みどりの百選」にも選定されているそうです。
祝日といことで大変な人出でしたが、通り抜けの人ゴミ、そこに舞い立つ砂ぼこりのわきで
お弁当を広げて座りこむおばちゃん達の根性には一目おいてしまいました~。
もう一か所、当オフィスよりほど近い大阪府堺市美原区今井にある
知る人ぞ知る 『法雲寺(ほううんじ)』 です。

(歴史)
法雲寺(ほううんじ、法雲禅寺 とも)
黄檗宗の仏教寺院。 山号は大宝山。 河内西国霊場第6番札所。
前身は、空海開基の神福山長安寺(ちょうあんじ)という名の真言宗の寺院であったが、元和6年(1620年)に、狭山池の堤防が決壊し、西除川の洪水により、寺地及び寺は流出した。
明暦年間(1655年~1657年)頃に、曹洞宗の僧・宗月が、長安寺の寺地と寺を今井村中から譲り受け、寛文11年(1671年)に地中より観音像を掘り出し、草庵に安置して再興した。
翌、寛文12年(1672年)に、宗月は宇治・黄檗山万福寺の開祖の隠元隆の弟子である慧極道明(えごくどうみょう、1632年~1721年)に寺地と寺を譲り、寛文13年(1673年)に慧極は幕府の許可を受け、寺号を大宝山法雲寺と改め、黄檗宗の寺となった。
慧極は、延宝5年(1677年)に禅堂を、延宝8年(1680年)に鐘楼を建立し、その後、30年をかけて大門、大方丈、開山堂、斎堂、天王殿、長生閣などの二十数棟を整備した。
元禄10年(1697年)に、狭山藩(後北条氏の末裔が藩主)の5代藩主北条氏朝は、慧極と師弟の約を結び、以後、北条家の菩提所となった。墓地の中央には、第11代藩主北条氏燕(うじよし)の墓がある。 (Wikiより)
とまあややこしい歴史はさておき、その手入れの行き届いたお庭や花、
そして観音様とのコラボには何とも言えないありがたみを感じます。
スタッフP